「自由の刑」私たちに与えられた“責任”と“希望”【サルトル】

「自由だから、しんどい?」──サルトルが教えてくれる自由の本質

たとえば、あなたが会社のデスクでふと、今の仕事をやり続けていることに疑問を感じたとしましょう。
上司は理解がないし、給料は上がらないし、やりがいもイマイチ。そんなとき、つい言いたくなるのが、

「いや〜、でもしょうがないでしょ。生活もあるし、転職なんて不安だし。」

という、今の現状に対する文句がついつい思いついてしまうかもしれません。


でも、哲学者ジャン=ポール・サルトルならこう言うでしょう。

「そのまま働き続けることを“選んでいる”のは、あなた自身です。」

そんな冷たいことを言わなくても…って思うかもしれません。
でもこれは「冷たさ」ではなく、人間の自由の本質を突いた言葉なんです。


サルトルは、「実存は本質に先立つ」と説き、「人間は本質(=決まった役割や性格)なんて持っていない。自分の選択によって、自分がどういう人間かが決まっていく」と考えました。

つまり、「自分は営業に向いてないから…」とか「もう30代だから無理だよね」という“決まりきった自分像”は、実は幻想なんです。人間は無意識のうちにこういった「自分像」を自分自身で作って、知らず知らずのうちにそれに囚われてしまっています。
大事なのは、「これから自分が何を選び、何をするか」。そして、自分のありたい自分像を自分の意志で形作っていくことです。

「自由の刑」──選ばなきゃいけないという地獄?


サルトルの説く「自由」には裏側があります。
彼はそれを「自由の刑(la condamnation à être libre)」と呼びました。

「人間は自由であることを強いられている」

つまり、選ぶ自由があるってことは、選ばなかった責任も自分にあるということ。
「本当は変えたいけど…」と迷っているときですら、実は“何もしない”という選択をしているんです。


じゃあ、具体的にどうすればいいのか。


答えは意外とシンプルです。

「今、自分は何を選んでいるのか」
「それは、本当に自分の望む方向なのか」

──この2つを、正直に考えることです。

「転職しろ」とか「起業しろ」と言っているわけではありません。
大事なのは、「自分がどう生きたいかを、自分で決める」こと。
それが、サルトルの言う“自由に責任を持つ”ということなんです。


自由は、楽ではないかもしれません。


でもそれは、誰にも決められない、あなただけの人生を生きていいということでもあります。

あなたがどう生きるかは、あなたにしか決められない。
それって、実はすごく希望のあることだと思いませんか?