「本当の自分は存在しない」-だからこそ人生は変えられる 【サルトルー実存は本質に先立つ】

(画像はWikipediaより抜粋)

20世紀フランスを代表する哲学者に、ジャン=ポール・サルトル(1905–1980)がいます。

彼は「人間は自由であり、その自由ゆえに自らの存在に責任を持たねばならない」とする思想を展開し、「実存は本質に先立つ」という有名な命題を唱えました。

今回は、現代を生きる私たちのヒントになるこの命題について解説していきます。

「実存は本質に先立つ」ってどういうこと?

「実存は本質に先立つ」…この一文は一見すると難解に思えますが、サルトルの思想を理解するための出発点としてとても重要です。

まず、「実存(existence)」と「本質(essence)」という言葉の意味をはっきりさせましょう。

「実存」とは、人間が現実にこの世界に存在しているということ。
呼吸をし、考え、行動し、悩み、選択しながら生きている——その「人間が生物として生きているという事実」そのものを指します。

一方で、「本質」とは、その存在が持っている本来の性質や目的のこと。
たとえば「ハサミ」という道具は「紙や布を切るためのもの」として設計されています。ハサミが作られる前から「切るもの」という「意味(本質)」があり、それに合わせて形が与えられ、存在します。これは「本質が実存に先立っている」例です。

しかしサルトルは、人間についてはこの順序が逆だと主張しました。つまり、人間はまず世界に「実存」し(生まれ)、そのあとで「本質」——つまり自分の意味や生き方、役割——を自分自身でつくっていくのだと言うのです。

この考えは、キリスト教的な世界観に真っ向から反するものでした。

旧来のキリスト教的な世界観では、神が人間を創造したときに「何のために生きるか」という目的や意味をあらかじめ与えたとされます。これは「神によって与えられた本質が先にあり、その設計図に従って人間は生きるべき」という考え方です。

サルトルは、これに対して強く異を唱えました。彼は「人間にはあらかじめ定められた意味や目的などない」とし、人間はまず何の意味もなく世界に投げ出され、そこから自分自身の選択と行動によって、自分という存在の意味=本質を作り上げていくと主張しました。

現代に活かす「実存は本質に先立つ」

都内の中堅企業に勤める健太さん(35歳)は、入社してから10年以上、営業一筋で働いてきました。数字にも責任にも強く、周囲からの信頼も厚い。けれど、ここ数年、ふとした瞬間にこう思うことが増えました。

「自分はこのまま営業を続けるだけの人生なのか?」
「本当にこれが、自分に向いている仕事なのか?」

そんな疑問を抱えながらも、なんとなく「自分にはこれしかない」と自分を納得させながら、毎日をこなす日々。

でも、ある日ネットで見かけた「実存は本質に先立つ」という言葉が、健太さんの中で引っかかりました。
最初は意味が分からなかったけれど、調べていくうちに、ふと気づいたのです。

「“営業しかできない”って思い込んでただけで、本当は、自分で“営業しかやらない”って決めてたんじゃないか?」

サルトルの言葉を借りれば、「自分はこういう人間だから、こう生きるしかない」という考えは、本質が実存に先立つという思い込みです。でも実際には、健太さんは自由に選べる存在であり、何をして生きていくかは、自分の行動で決められます。

「たしかに、怖い。でも、変われるってことでもあるんだな」

そう気づいた健太さんは、まず社内の異動制度について調べてみることにしました。いきなり転職するのではなく、まず自分の興味がある「人材育成」や「社内研修」の仕事に関われないか探してみようと動き始めたのです。

健太さんがしていたような「自分は営業職に向いているから続けるしかない」という思い込みは、「本質が先にある」という信念からくる発想です。サルトルに言わせれば、そのように「自分はこうだから仕方ない」と考えるのは、実は自分の自由を放棄しているだけなのです。

重要なのは、「自分がどう生きるか」は自分自身の選択であり、それによってのみ「自分がどういう人間か」が決まる、という点です。生き方に正解や設計図があるわけではなく、「あなたが何を選び、何をするか」があなた自身を形作るのです。

この考えは、自由と責任を伴う厳しい立場ですが、その分だけ「自分の人生を自分でつくる」という力強いメッセージでもあります。